※「つまり、わたしは欲張りなのです」の続編です。





















毎日出入りしている教室の扉を開けると、一気にクラスメイトの会話が耳に飛び込んできた。昨日テレビでやっていた内容、新作の音楽、今日の部活内容…どうでもいい事を互いに交わし笑い合う。随分と見慣れてしまった朝の風景を浴びながら自席へ向かう。

「よ〜!」
「おはよ!」
「ハヨ」
「おはよう」

あちらこちら挨拶しながら、自席へ辿り着いた風間は肩に掛けていた鞄を机の横にあるフックに掛けた。壁に取り付けられた時計を見ると始業時間まで余裕があった為、女子と楽しくお喋りタイムと洒落込んだ。

「やあ」
「おはよう、今日も可愛い子見繕いに来たの?」
「はっはっはっ、やだなあ〜そこらの男共と同じ見方しないでくれたまえ。僕はただ単に、朝から可愛い子達とお話して自身の士気を上げようって戦法さ!」
「意味おんなじだと思うけど」

可愛らしい笑い声が風間の背を撫でたので、愛想よく返そうとした。振り返って相手を把握するまでは。

「んもう、誤か…、あ……雪ちゃん」
「ん?あ、言ってなかったね。おはよう、風間君。怪我の調子はどう」

微笑と共に自分の頬を指差した雪の真意はすぐに伝わった。傷を隠した真っ白いガーゼをなぞって昨日のやり取りの時に残した残酷な面を思い返した風間は、挨拶を快く受け容れず、疑念を抱いた。

「……おはよう、もう随分と良くなってるよ」

挨拶された反射で、思わずぎごちない挨拶を返してしまったことに舌打ちし掛けたが、周りが不審に思わなければいい。何事もない日常が一番大事なのだ。そう、無理やり自身を納得させた直後。

「雪」

風間と雪の間を隔てるように白い腕が伸びて来た。驚く暇もなく、雪の手を引いて立ち去ろうとする綾小路と目が合う。途端、一気に肌が粟立つ程の殺意を孕んだ鋭い眼力を受けた。

「――――」
「相変わらず雪ちゃん一筋だよなー。挨拶くらい見逃してやってもいいのに」
「あーあ、オレ狙ってたのになあ。あんなに手厚くガードされちゃな…残念だったな風間も」

返しに反応せず黙っていると、勝手にやり取りを見ていた級友達が近寄って肩をぽんぽん叩いた。慰めの言葉も投げ掛けられたような気がしたが、今の風間には全く届いていなかった。

(……へぇ)

ただただ、奇妙な優越感が足元からぞわりぞわりと這い上がってくるのを実感していた。



*



今日はどの女子を引っ掛けようか、寝転がって考えていた風間は学園から流れるチャイムの音で思考を一旦止めた。背中に張り付いた草を払って立ち上がるのと同時に背伸びをする。何の為に存在するのか分からずにいる体育の時間を昼寝で潰したお陰で随分と気分は良い。

(この前連絡先をゲットした子にしようかな。いやでも、昨日話してて楽しかったあの子もいいな…ん〜どうするか…)

「ん?」

授業が終了し、着替えに走って誰も居なくなったと思っていたグラウンドから一人、体育館倉庫へ移動する姿を見付けた。それは紛れもなく朝、風間に向けて睨みを利かせた綾小路だった。

「ふう」

体育で使っただろう用具を片手に持ち替えて、様々な用具が眠る体育館倉庫のドアを半分開けている。暑さで、つうっとこめかみから顎まで垂れてきた汗を拭い取って綾小路はそのまま室外の光だけを受ける倉庫の中へ入ってゆく。マンモス校と謳われる程に騒がしい校内とは無縁な世界へ一人で行こうとしていた。

『もっと、』

夕日に染まって酷く艶めかしく感じた口元が、今、記憶の中から鮮やかに蘇る。心臓が高鳴ってゆく。運悪く体育教師、もといブラックこと黒木先生に捕まって片付けを頼まれたのだろう。ああ、なんて都合のいい不運だろうか。

『していいよ』

学園から出ようと踏み出しかけた足を戻した風間は、既に女を引っ掛ける考えを捨てていた。あるのは――体操服を着込んだ白い背中。

「え」

急に出来た陰りに驚いて振り向く綾小路より早く、体育館倉庫のドアが閉まる。続いて内側から鍵を掛ける小さな音が全ての始まりを知らせた。



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