毎日出入りしている教室の扉を開けると剥き出しになっている窓から、きらきらと輝く赤い光が差し込んでいた。様々な音を作り出す昼間の面影を隙間なく塗り潰す程の静寂を放つ、放課後という特有な光景だけは何故か倦怠感を生まない。実によく出来ている。

「あ、風間君だ」

感心しながら辺りを見回すと机と椅子に絡み付いている赤黒い影に混じって、一人、窓際にある椅子を勝手に引いて座っていた風間を見付けた雪はそのまま声掛けて近寄る。女子を見れば直ぐに甘い顔を貼る筈の風間は何故か億劫そうに笑った。

「やあ」
「どうしたの、一人で教室に残って」
「雪ちゃんこそ、どうして此処に?」

窓枠に肘を付けて、頬を支えたまま質問を質問で返した風間を非難せずに雪は元気一杯に答えた。

「ゆきの部活が終わるの待とうと思って、此処に来たんだけど先客がいるなって」
「あはは、幼馴染の特権ってやつ?」
「んーん、昨日ちょっとね…事情があって今日は一緒に帰る約束したの」
「そうなんだ」

風間に倣って雪も傍らの椅子に腰掛けて、窓から覗く風景を見やる。体操服を着込んだ何人かの生徒達がグラウンドを駆け巡っている。恐らく運動部だろう。

「そうなの。昨日泣いてるゆき見掛けてね、放っておけなかったんだ」



*



「ただいまぁ〜」
「おかえり、丁度いいからそのまま郵便、何かあるか見てきてって〜!」
「もお、人使い荒いよ!」

頬を膨らましながらも、母に言われたとおり郵便受けに投函された郵便物を掻き集めていた最中、逃げるようにして家の中に飛び込む幼馴染の姿が視野に入った。

「ゆき?」

不思議に思った雪は学校の指定された鞄と郵便物を玄関前に置いて、母に幼馴染の所へ寄ってくると言い残した。向かい側の家へ向かうと玄関前で靴も脱がずに蹲って震えていたのでしゃがみ込んで頭を撫でる。

「……っ、雪……?」
「………………」

急に触れられて身を竦ませた綾小路は少しずつ顔を上げて青白い顔を見せた。あまりにも静かすぎる室内を見渡して、両親は不在なのか聞くと小さく頷いた。

「ゆき、泣かないで。何があったのか聞いていい?」
「うっ、く、…………口、」
「口?」
「口を、付けられた」

下睫毛に絡んだ涙が滴り落ちてタイルに跡を付けた。そのまま震える手で口をなぞって、続きを紡いでいく。

「舌…も、入れられ、た…っ」
(詳しく話せって言ってないのに細かく言っちゃう癖直ってないなあ)

その時の感触が未だ残っているような気がしたのか、手の甲でずっと口を拭う綾小路を止めに掛かった。放っておけば、唇が切れて血が出てしまうだろう。

「そんなに擦ったらダメ、切れちゃう…落ち着いて、ゆき。大丈夫、大丈夫だからね」

綾小路の顔を両手で支え、口内に残った不快感を全て自身の舌で塗り替える。

「ゆ、雪!?何…!ん゛!?」
「ン」
「う、っ……は……な、何を」

(真っ赤な顔しちゃって)

「何って、消毒」

唇を舐めて、あっさり言ってのける雪に混乱する綾小路。

「もう怖くないよ」
「………………」
「ね、…口開けて?」

顎を掴んで上へ向かせると、泣いた跡の残る赤い目の中に雪が映る。口の端から零れた唾液を指で拭うと促されたと勘違いした綾小路は抵抗することなく、ゆっくり口を開けたのだった。

(ああ――、可愛いなあ!)



*



「ということがあってね」

思い出し笑いをしながら、風間を真っ直ぐ見据える雪。

「風間君。……『それ』、ゆきにやられたんでしょ?」
「……何、嫌味?それとも忠告?」

昨日の出来事を事細かく伝え終わると、いつも女子用に振り撒いている笑顔で物騒なことを聞く風間がいる。そうっと頬に掛けていた手を外すと、白いガーゼが現れて自然と目線がそちらへ行く。

「フフ、どっちも言ったって意味ないよ。だって、ゆきは」
「君のことしか見てない、でしょ。誰だって分かるよそんな簡単なこと」

綾小路の視線は常に雪の方を向いていることをクラスの皆は知っている。知らないのは張本人だけだ。

「あ、部活もう終わったのかな」

何となしに、窓の外を見るとグラウンドにいた生徒達が一人も居なくなっていたことに気が付いた雪は話を断ち切って椅子から立ち上がった。綾小路の部活も終わった頃だろうか、迎えに行かなくては。教室から出る前に、扉に手を付けて振り向いた。

「ごめんね。私がゆきの幼馴染で、女…っていう超強力な武器を持っていて」

「でも、私は逆だな。男の風間君が羨ましい、だって…その力で『何でも』出来るでしょ?」
「え?」
「昨日のゆきね、私に見られたショックと慰めてくれた嬉しさで混ざった何とも言えない顔をしてたの。凄く凄く、……可愛かった。だから――」


「もっとしていいよ」


今まで見たことのない残酷な笑顔にたじろいで、何をだと聞き返す気が起きなかった。むしろ愚問だ。教室と廊下を隔たる扉を完全に断ち切って再び訪れた静けさの中、風間は小さく呟く。





「……女って」










つまり、わたしは

欲張りなのです






17/03/13  背徳感に塗れる綾小路に欲を見出す雪。