「今晩は。お邪魔します」
「あらあら、まあ」
「今日はお世話になります」
「あらあら、まあ」
ほんの少しの前。
家に招き入れてドアを閉めると、音に気付いて足音を鳴らせながら玄関へとやってきた人物が現れる。途端、きちんと姿勢を正して丁寧な言葉を向ける風間に目を見開く。普段の態度を知っているだけに、此処にいるのは誰だと問いたい気持ちで一杯になった。
「ちょっと、母さん」
それ以前に、母と風間が噛み合っていない会話をしているのを横から見た綾小路は、何故か不安よりも呆れが広がる。このまま仲裁に入らないと永遠に続く気がして風間の前に少し出た。
「ああ、ごめんなさい。行人がお友達連れてくるって言うから凄く楽しみにしてたの。今までこの子、匂いのこともあって家に連れてきたこと本っっ当に無かったものだから」
「母さん!余計なことは…」
初めての来客に浮かれて色々話す母の言葉を止めようとすると、それよりも先に風間が笑いながら返事を返した。
「そうなんですか」
「ええ、そうなのよ。もうお母さん感動で感動で……よく貴方のお話もしていたのよ、確か風間望君だったかしら」
「望で良いですよ、お母さん」
「風間!お前もっ…」
礼儀にしてはやり過ぎだと、注意しようと視線を変えたら次は母に場を持っていかれる。
「まあ、望くんったら凄くお上手ねぇ」
「有難う御座います」
妙に馬が合う二人を何とか引き離さないといけない。眉を顰めて、頑張って勇気を出そうと思った時にまたもや邪魔をされる。
「ほらほら、行人。何ぼやっとしてるの望君をずっとそのままにしちゃ駄目でしょ。部屋に案内してあげないと」
「……元々、そのつもりだったよ」
誰のせいでこうなったと。余計なことを言うと玄関前でずっと話をする羽目になるのでぶつくさ心の中で呟くだけに留めて、風間を自室へと誘導させることにした。靴を脱いで二階を指差すと、それに倣って靴をきちんと脱ぎ揃えて綾小路の後ろへ付いていく。
「あ、そうだ。今日はお友達連れてくるって言ってたからお母さん頑張っちゃった。沢山ご飯作ったからいっぱい食べてね!」
階段を上がっていた最中、1階から母の掛け声が聞こえた。内容的に、少し綾小路は気になって風間の方を見やった。食べ物に関しては五月蝿いので騒ぐかと思えば、予想に反して静かに笑顔を母に向けて頷いた。
「…………はい!」
大変珍しいこともあるなと感心したのも束の間。此方に振り向き直して、先程の態度は猫被りなのだと綺麗に納得した。
(ヨダレ出とる、ヨダレ……)
*
「お口に合うかしら?」
「すごぐおいひいれふ!」
部屋に荷物を置いて、夕食タイムになってからずっとこの調子で綾小路は少し口の中に入れた箸を取り出して、一言吐いてみる。
「食べるか喋るか、どっちかにしろよ…」
机に広げられた食事に目を輝かせながら、ひたすら食べまくる風間の食欲力は凄い。事情があるだけに、そうなるのも無理はないと思うが人と話している時でも食べるのは失礼に当たるので注意した。
「そんな固いこと言わなくてもいいじゃない?沢山食べてくれるのは見ていて気持ちいいわよ〜あっ、望君これもどうぞ」
「なっ」
大変甘やかされて育った身でもないので、母の軽い言葉に驚いた。否、一番驚いたのはもう打ち解けている二人の言動だろう。沢山作った食事をあれこれ勧める母と、勧められるがままに食べて褒めまくる風間。食べた物を喉に通した後、先程の聞き取れなかった絶賛の言葉を再度向ける。
「や〜本当、美味しすぎて幾らでも食べられますよ!いいなあ、綾小路君はこんな美味しい物食べて育ってるんですね」
話をしながらも、手は盛り付けられた食べ物を小皿へと運びまくっている。器用な男だ。その前に猫被りとはいえ、君付けされるのは何かと寒いものがある。
「匂いで駄目な子だからね、食材にも色々気を遣っちゃうの。お陰で料理に関しては誰にも負けない自信あるわ〜うふふ」
「も、申し訳ないとは思ってるよ……」
「何言ってるの、子供は親に甘えて当たり前なのよ。そんなこと気にしなくていいの。まあ、甘え過ぎるのも問題だけど、行人はあまり甘えようとしないから……お母さん心配になっちゃうわよ」
話の流れでしんみりとした雰囲気が食卓を包み掛けて、慌てて別の話題を挟み込んだ。あまりにも急展開だった為、違和感を覚えてしまうかもしれないという不安は一瞬にして砕けた。
「母さん!父さんはいつ戻ってくる予定だっけ?」
「えっ、あ、そうね。今週には帰って来るって言ってたわね」
「そう、分かった。ほら、冷めたら美味しくないから、もう全部食べよう」
「そだね〜!!」
また母と風間の楽しげな会話が始まって、綾小路は心の中で少しほっとしながら残りの御飯を口に含んだ。
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