01/抱き寄せキスしてせがんで愛して
開け放っていた吹奏楽部のドアから顔を覗かせると後輩達が一斉に視線を向けた。
何度目の訪問になるか、いい加減に慣れていただきたい。同級生は同級生で呆れて溜息をつく奴までいる、失礼だね。ちゃんとした目的があって来ただけで、好きで此処に来てるわけじゃない。
「あ」
僕の存在に気付いた綾小路は、物凄く嬉しそうな笑顔を浮かべてこっちにやって来る。阿呆!顔、顔!!表情で訴えると我に返った綾小路は緩みきった顔をすぐにいつもの威厳のある顔に戻した。ひやっとさせるんじゃないよ、全く……。こほん、と一つ咳して気を取り直した。
「まだ終わってない?」
「いや、片づけ中だ」
「そ。じゃあ外で待っとくよ」
「うん…、早く終わらせるから待ってて……」
出入り口を指差すと、頬を赤くしながら頷く。男女の逢瀬じゃないんだからさ、なんて突っ込みたい気持ちをぐっと抑えた。壁に身体を預けて待つと、ぞろぞろと綾小路以外が出てくる。楽器を持って帰る奴もいれば手ぶらな奴もいた。家に帰っても練習復習ってやつかね、大変ご苦労様…頭の中で呟きながら去って行く後姿をずっと眺めていると耳元で小さな声が入る。
「終わったぞ」
何で小声、というか緊張しているんだろうか。俯いたまま袖口を引っ張るんじゃない。恋する乙女達なら大歓迎だが、男がやると気持ち悪いだけだ。でも普段、きちんとしてる綾小路だと新鮮さがあって面白い、という気持ちもあるので厄介だ。
「じゃあ帰ろう」
「う、うん」
「で、なーに?お話って」
腕をそっと振って離して、横に並ぶ。用事がなければ一緒に帰ることはない。お互いそれぞれの時間を持ってるし、無理強いはよくないしね。その辺、理解してるから付き合いやすいのかもしれないと落ち着きのない綾小路を隣から盗み見した。
「え、えと、風間、その、な」
「うん、何」
「きょ、今日、家に誰もいないんだ」
「ふうん」
今日は土曜。
あからさまなお誘いだな、馬鹿でも分かる。ということは次に来る言葉は当然。
「と、泊まりに来る……か?」
「嫌」
顔を真っ赤にしながら一生懸命伝えた言葉を即答で切り捨てると目を見開いて此方を見る。言動が物凄く素直すぎて、可笑しかった。
「って言ったらどうする?」
「…………………」
あ、目に一杯涙を浮かべてぶるぶる震えちゃったよ、おいおい。下睫毛のお陰で零れずに済んでいる。泣きたいのを堪えているのが見え見えで、思わず笑いそうになった。相変わらずからかい甲斐のある奴だなあ。
「まー、明日はお休みだしね。断る理由もないし別にいいよ」
「ほ、本当…?」
「疑うなら帰るよ」
「やだっ!や……っ」
だから、そんな必死に袖口を引っ張らなくてもいいっていうの。流石に二回目となると振りほどけない。代わりに、頭を撫でてやると大人しくなってくれた。
「君、本当、僕のこと好きだねえ。離したくないの?」
「う、うん……離れないで……」
そのまま、目を伏せてぎゅっと袖口を握ったまま擦り寄ってきた。やってて恥ずかしいと思わないのか?二人きりだからって許されるものじゃないぞ。誰かこの子に常識というものを教えてください。
「……冗談を真に受けるなよなっ」
*
綾小路の家に着くなり、夕食の準備するからゆっくり寛いでいてくれと告げられた。
なので素直に部屋で待ってみたり、寝転がってみたり、探検したりしたけれど。
一人でいるのに飽きて料理しているだろう綾小路を拝みに一階へ下りた。廊下を歩きながら一つ一つ散策していると台所っぽい所に行き着いて歩みを止めた。こっそり覗くと紺色に染まった暖簾の隙間から、ぴんと背筋を伸ばした綺麗な後姿を見つけた。エプロンなんかも着けて本格的だなあと感想を心の中で呟いて、その場に踏み込む。
「あ、あれ、風間」
「あきた」
君の部屋、整然としすぎて。
肩を竦めながら、傍にあったテーブルの椅子にどかっと座った。
「面白いものなかったし」
「面白いものって何だよ」
「健全的な男子高校生が所持しているだろうエロ本」
「そんなものあるか!」
いやいや普通持たなきゃおかしいよ君ぃ、人差し指を立てて左右に振った。
一般男子の生態を知らなさ過ぎる綾小路の為に色々知識をひけらかすと段々顰め面になってゆく。しかし、これが紛れも無い現実だ。調子に乗って喋りに喋り捲って喋り終えた頃にはいつの間にか黙々と料理を進めている。興味がないと無視を決め込むのは悪い癖だと僕は思うね、最後まで人の話を聞くのが礼儀ってもんでしょうに。
「綾小路」
「何だよ!」
「エプロン似合うね」
「………………」
態度が非常に面白くなくて、呼び掛けると料理の邪魔をするなと怒られた。
なので、対抗してみたら一気に別の意味で黙ってしまった。
たったこれだけで機嫌直すなんて軽いなあ。
「口に合った?」
「君が作れるってことにも驚きだけど、美味いってのにも驚きだ」
「ア、アリガト……」
「ねえ、何ずっと恥ずかしがってるのさ?いい加減顔上げなよ。新婚夫婦じゃあるまいし」
「しんこん……」
箸を咥えたまま耳まで赤くなるのを見ていると、此方の方がすごくむず痒い感覚に陥る。
居た堪れなくなってその場から去ろうと空になった茶碗と箸をテーブルに置いて両手を合わせて礼儀して立ち上がると、風呂の用意もしてあるから入ってくれと言われた。
何こいつ本気で甲斐甲斐しい奥さんになれるんじゃないの?
お肌にデリケートな僕は言葉に甘えて、部屋に向かわず浴室へと方向転換した。
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