「あれ、坂上君じゃないの」
「風間さん」

放課後、鞄を取りに行き来し慣れた教室に向かうと入り口前でちらちら室内を覗く背の低い男の後ろ姿を見付けた。学園の指定服に付いている肩章を見れば一年生。一年生が三年のクラスに何の用だ?と首を傾げて顔を覗き見すると、柔らかなくせ毛の掛かった茶髪と大きな目が目に入る。瞬時に七不思議の特集で一丁前に場の進行役を務めた一年生だということを把握した風間は声を掛けていた。名前はともかく名字が大変分かりやすかったので、難なく言葉に出来た。

「良かった、知ってる方に会えて…話が早いです」
「ん?」


「綾小路さん、意識取り戻したんですよね」


「あー」

成程その件ね、と風間は肩を竦ませる。自分に関すること以外には興味を持たない事を集会で知った坂上は呆れ返ってしまったのだろうかと少し狼狽える。

「日野にでも聞いたの?」
「あっ、そ、そうです。あの集会が終わった後、倒れ込んでそのまま救急車で運ばれた事だけしか知らなくて……これでも新聞部員の端くれですから…………その、気になっ、て」

純粋に倒れた先輩の事が気掛かりで来訪したのだが、実際に言葉にして述べてみると新聞部員という肩書きを利用して先輩のプライバシーに足を踏み入れているのと同義なのかもしれないと思い始めて不安がよぎる。不意に襲ってきた罪悪感が坂上の心を苛ませ、最後まで綺麗に言い切ることが出来なかった。

「あのお節介め」
「え」

小さな舌打ちが耳元を撫で、そんな悪態もつけるのかと驚きで顔を上げると面倒臭そうに溜息を吐いていた。先程のは空耳だったのかもしれない。

「いやー良いよ良いよ、別にそれは。とはいえ、意識戻ったといっても精神は不安定だから此処には居ないよ。病院に行かなきゃ」
「そ、そうでしたか……」
「ふーん、随分と気に掛けてくれるじゃないの。集会で集まった時もそれくらい気に掛けて欲しかったけどねぇ?」

風間の理不尽な愚痴をそのまま受け容れてしまうと、どうでもいいことまで混ぜ込んで更に酷く言われる。集会の時に嫌というほど経験した坂上は、何もかもが初めての経験で余裕がなかったのだと怪しまれない程度に頭を下げで会話を断ち切った。

「それじゃあ、僕はそろそろこれで…」

目的を果たした今、三年のクラスに留まる理由はない。軽くお辞儀してそのまま階段を降りようと考えた所、一つ言い忘れていたことに気付いて出しかけた足を押し止め、風間に向けて口を開く。

「あの、――」




*



「元気になって下さい――って、坂上君から言われたんだけどね」
「……さかがみくん?」
「大体、僕が通り掛からなかったらどうしてたのさって話になるよね。誰も君の見舞いなんか来やしないのに」

上半身だけを起こして、窓に映る赤い景色を力なく眺めていた綾小路のベッドに近付き、投げ出された白い手に自身の五指を絡めた。漏れ出る光が肌に色を付けて、見違えるほど健康的に見える。これまで病室に入り込んでも手を触っても無反応だった綾小路の肩が強張ったのに気付いて、表情を見ようと顔を上げた次の瞬間、大きな音を立てて重ねた手を撥ね除けられた。

「何するのさ、せっかく伝言を伝えに来たのに」
「あ゛っ!あ、ア゛ァ゛あ!!!!ゆき、雪!――ゆき…雪ッ」
「ああ、そっか。確か坂上君の前で倒れてたんだっけ。ごめんごめん、辛いこと思い出させたね」
「…………雪…………、ぅっ」
「ね、綾小路」

顔を覆い隠す両手を引き剥がして、すっかり生気を失った綾小路の眼に自分を映す。目尻を撫でると溜まった雫が指に吸い付いた。その感触を楽しみながら、別の話を持ち出す。

「こないだ、君の親に会いに行ったんだけどさ。君とは綺麗さっぱり縁を切るって」

絶縁、もしくは勘当。似た意味を頭の中で並べる。

「酷い親だよね。ま、雪ちゃんの骨を食べた君も悪いけど」

不憫に思うことなく笑顔で、他にも……、言い掛けて閉口した。『こう』なってしまった綾小路の経緯はずっと隠れて見ていた頃から存知の筈なのに、何故か思い出そうとすると靄に包まれて象れない。恐らく鳴神学園という意味不明な場所のせいだろうなと風間は推量する。

「あそこ本当に変な学園だよね。まあいいや、楽で」

道徳に反した行いをした気がするし、一面の赤い海が拡がっていた気がするし、何かの咀嚼音がしたような気がする。――全てそんな気がするだけで、何処にも証拠がない。曖昧な記憶は誤解を招く種になり得るので、記憶の奥底に封印しておくことにした。

「退院したら、僕が引き取ってあげるね」

きら、と夕日に反射して光り輝く鍵を見せた。キーリングが付いてるだけの状態では心許ないので、渡す時には何か付けてあげようと思う。退院祝いとして。

「君の部屋はもう用意してあるんだ。退院したらこの鍵渡すから大事にするんだよ、君の大好きだった雪ちゃんみたいに」
「雪」
「綾小路。そこは、『うん』って言うんだよ」
「……、……」

雪が居ない現実を未だに嫌がる綾小路は脳の処理さえ拒み、何もかもを閉ざして風間に言われたことをそのまま実行した。

「……うん」
「そうそう、――いい子」

言えたご褒美だと口を重ねると、そこには。



消毒液の匂いしかしなかった。











屍に口づけを






18/10/28  夢幻生存√考えると卒業して療養生活した後、復活して欲しい(29)。