まっくろ。――まあっくろ。
何もかもまっくろい、もので覆われている。

絵本によく出てくる黒いローブを着込んだ魔法使いや魔女のように、人間でありながら他と違ういきもの。風間祝から見た綾小路行人の第一印象は、そんな漠然としたものだった。

「初めまして」
「……だれ?」

子供の見る世界に合わせて、膝を曲げた大人は自分の所へと転がって来た柔らかいゴムボールを片手で掬い上げた。その後、静かに口を覆っていた黒布を剥ぎ取って笑う。

「きみのおとうさん、…のお友達だよ」
「おともだち?」
「そう、かざまのぞむ」

小さな両手の中に、ぽんとボールを置いてやると大事そうに抱き締めた。

「ぱぱの名前だ」
「うん、――そのパパは?」
「いまねえ、おでんわちゅうなの」

だから、しーなの。目線を家の門に向けて、小さな人差し指を立てて口に付ける。表札を見ると風間と綺麗に書かれていた。家の前とはいえ、今の時代こんな所に子供一人で居れば誘拐の可能性が濃くなる。子供は実に無邪気で可愛いと思う。

「ふふ、一人で外に居たら悪い人に連れて行かれてしまうよ」
「ここ、あまり人通らないから」
「そんな事を言って…僕がいるよ」

目を細くして笑う顔があまりにも優しげで、警戒心を少し解いた祝はゆっくり視線を合わせて質問をした。

「……ボクを、つれていくの?」
「そうだと言ったら?」

その質問に対して更に質問をぶつけて悪戯っぽく返すと、直ぐに眉を顰めて否定を表した。

「うそだあ」
「何でそう思うかな」
「ボクにきょーみあるなら、まず名前聞くでしょ。ちがうじゃない」
「それもそうだ。じゃあ名前教えてくれるかな、僕は綾小路行人って言うんだ」

軽いやり取りを交わしていたこともあってか、祝は躊躇うことなく何もない空間に人差し指で漢字を分かりやすくなぞる。

「しゅう。おいわいってかいて、しゅうって言うんだよ」
「そう、祝君か」
「うん!」
「いい名前だね」

祝の頬に触れるか触れないかのくらいの距離まで両手をいっぱいに開いた所で、祝の身体が後方へと下がる。空気を掻っ切った行き場のない手をゆっくり下ろし、顔を上げると家の主である風間が祝の首根っこを掴んで引き寄せていた。

「ぱぱ」
「中で遊んでおいで。パパはこの人と話があるから。…ああ、あまり台所は触っちゃいけないよ。危ないからね」

そのまま、背中を押して家の中へと促す父の顔を覗き見すると珍しく真面目な顔付きだったので反論せずに小さい頭を縦に振った。

「わかったあ…じゃあね、ええと…あやのこーじ、だっけ」
「うん、覚えておいて……綾小路行人、だよ」

家の扉を閉める間際に手を振る祝に倣って、手を振り返す綾小路。

風間祝から見た綾小路の記憶は此処までだけれど、悪い魔法使いでも魔女でもなかったなという感想が頭の中に芽生えた。



*



「……綾小路」
「ちゃんと僕の言う通りにしてくれたんだな」
「あ、……うん」
「ありがとう」

祝を見送った後、立ち上がると風間の腰に両手を回して抱き締める。外国では至極普通の挨拶でも日本は余り馴染みがないため、戸惑いを見せつつも抱き返した。

「……うん」

周りに誰も居ないのを良いことに互いの温もりを分かち合うが、数分も立たない内に綾小路が口を開く。愛の囁きでなく、普通に先程まで存在していた祝のことを尋ねた。

「何歳なんだ?」
「え、ああ…もうすぐ5歳かな」
「そうか」

扉の向こう側へと去った祝を懐かしむように見る綾小路が気に食わなかった風間は、白い頬を撫でて無理やり自分の方に視線を戻した。けれど効果はなかった。

「綾小路」
「勿論、鳴神学園に入れるんだよな?」

綾小路の目に映るものは風間でも、見ている先は全然違う。考えていることも全然違う。その事実をずっと覆せずにいる風間は堪らなく苦しかった。

「……その事なんだけど。その、決めるのは、あの子自身だから……僕は」

小さくなる声色を上塗りして、恐ろしいことを耳にする。



「それもそうだな。ふふ、――『また』会ったらあの子に聞くとしよう」









まずはトレーニング

してみよう






15/10/12  狂気の始まり。