「――風間」

一面の雲で覆われて太陽が全く見えず、夜と錯覚しそうになる暗い朝。辛うじて踏ん張っているがその内に雨が降るかもしれない、とカーテンを少しずらして外の景色を覗いていた僕を誘う声が耳を蹂躙した。カーテンを閉め切って振り向くと室内の蛍光灯の明かりがやけに眩しくて目を細める。

「ん」

僕の目の前に差し出された黒いネクタイが揺れる。説明しなくても分かるだろうという意図が見て取れたので、それ以上は何も言わずにネクタイを受け取った。姿見を前にして、直ぐに髪を掻き上げて背中を見せる彼…綾小路の白い項に付いた赤い痕が目に焼き付く。昨日の情事を思い出して再度口を付けそうになるのを押し留めて両手を回す。黒いワイシャツの襟にネクタイを通しながら、少し伸びてしまった綾小路の髪を眺める。

「何か言いたいことがあるなら目じゃなく口を動かせよ」

凝視していたことを姿見越しに知ったのだろうか。察知した綾小路はそのまま姿見に映る僕に視線をやり、口の端を吊り上げた。いつも覆っている黒布が無い分、酷く蠱惑的に見える。

「……髪、切らないの?」
「教師に見えなかったら困るだろう。ただでさえ幼く見られてるというのに」

女の愚痴にも似た言葉を向けられたけれど、それが作り物だと長年の付き合いで知っている僕は躊躇いもなくたたっ斬る。

「嘘ばっかり」
「はは」

キュッと綺麗に整えられたネクタイに満足した後、ゆっくり振り返って僕の頬に両手を乗せた。

「お前の前では隠し事が出来ないな」
「言ったはずだよ、全部僕に……」
「刺激が足りない」

駄々を捏ねる子供を諌めるような軽い口付けを施された。

「…っ、この淫乱教師!!」
「そんなに心配するってことは何人かは釣れそうだな」
「冗談言わないでよ…、っ」

「ああ、後」



「あの子、実に似てきたな。……『お前』に」



「おい、待て!」

一日中ずっと、そうして自分のことを考えて苦悩していろとでも告げている笑顔を見せてビジネス鞄を掴んで玄関のドアを閉められた。

「……くそ」

高校時代の時にとある理由から綾小路を壊して以来、支えになると誓った。何でも尽くすと誓った。それを認知している綾小路は僕の心を利用して無茶苦茶な事を言い放った事を今でも覚えている。

『お前、結婚して子供作って』
『……え』
『僕のお願い、……聞けない?』

思い返しても、あの時の笑った綾小路は獲物を搦め捕って甚振る目だった。珍しい彼の頼みを聞いた僕はその通りにした。愛がなくとも性交は出来るものなんだなと他人ごとのように思った。けれど、子供が産まれて初めて愛が芽生えた。

「…………本当に、厄介だ」

どうしてそんな頼みをしたのかと疑問が心を侵食して、覆い尽くされた頃には気付いてしまった。綾小路が僕のことを一生許すつもりはないのだということを。



(贄に頂戴、なんてお願いが下るまで――僕は、あの子をいつまで守れるだろうか)








愛しすぎて他に何も

見えていなかった






15/07/06  狂気に踊らされる日々。