※風間と雪の間に産まれた祝捏造。
夕暮れの光を受けた幾つかの試験管が、きらきらと黄金色の光を拡散させて一種の宇宙空間を創造しているように感じた祝はその綺麗な光景をずっと眺めていたかった。しかし、終わりは必ずやって来るものだ。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ片付けて帰るとしよう。見回りに見付かると不味いからな」
理科室の鍵を勝手に拝借して、多種多様な実験器具を並べて訳の分からない実験を行っていた松戸が壁掛け時計を見て、そんな事を言い出してさっさと片付けに入る。その隣で素っ頓狂な声を上げて、安全第一と書かれている真っ白いヘルメットを頭から落とす小門がいた。あご紐を締めずに軽く頭に被せただけの状態だったので当然の結果である。
「おいいいい!?実験に付き合ったら鳴神地球防衛軍の活動に付き合ってくれる約束だろ!?宇宙人からの侵略から守る義務がだな…っ」
「こんなに遅くなるとは思わなかったんだ。そんな下らない事は明日に回してくれ」
「下らない事だと!?何時何処で狙ってるかも分からないんだぜ!そんなヨユーあるか!!」
物凄く冷静に小門の文句を切り裂く松戸に対し、負けじと机を叩いて反論を起こそうとする。壁掛け時計を見ると松戸の言う通りそろそろ六時を指しそうな針が訴えていたので、祝は椅子から飛び降りて松戸の助太刀をした。
「こんな遅くなるまで遊べたんだ。明日も大丈夫に決まってるじゃあないか!ソラは心配症だな、じゃあボク一足先に帰らせてもらうよ」
「ひっで!シュウはマッドの味方すんのかよ!!」
「おい、手伝えよ!」
理科室の扉を開けた祝の背中から怒号が響き絡み合うのが分かる。それでも物怖じしない態度で投げキッスを二人に放ち、手を大きく振ってその場を後にした。
「ごめんね〜〜、ボクを待ってる女の子達を悲しませたくないからさあ〜!」
*
青と橙が交じり合い、絶妙な薄紫色を映し出す空――夜の世界へと変わりつつあるこの時間帯がとても好きな祝は、定期的に空を見上げる。薄っすらと残る影を使って狐や犬を作ったりと影絵遊びをしながら帰路に着いていると、前方に見知った後姿を捉えた祝は遊びの的をそちらへと切り替えた。そうっと音を立てずに近寄ると全ての色を跳ね除け、盛んに主張し続ける黒い背中が目一杯に広がる。タイミングを見計らって膝の裏の辺りを、自分の膝で押し当てると、ガクンと自然に膝を曲がらせて腰を落とした。
「ぎゃっ!?」
「あっはっはっ!思い切り引っ掛かったね先生。実に耐え難い位の酷い声だったよ!」
「おっ、お前なあ!!」
振り返って注意を施そうとしたが、年齢以上に色気付いた印象を受けていた筈の祝がこの時ばかりは悪戯の成功を喜ぶ可愛い子供に見えて何も言い出せなくなった。喉元まで出かけた言葉を濁らせつつ、黒いマスクを弄り出した綾小路は段々疑問を膨らましていく。
「……何で此処に居るんだ?」
「此処から帰った方が近道なの。いつもは時間掛けて帰るんだけどね〜?今日は随分遅くなったからさあ」
「そうか」
教えてくれて助かったと言わんばかりの顔をした綾小路は、先程の悪戯で落し掛けたビジネスバッグを持ち直して早歩きへと切り替える。少し距離が広がった所で祝は綾小路の奇怪な行動に気付く。
「ちょっとー!?教師が生徒を放り出すの!?」
「道が違うだろ。さっさと帰らないと暗くなるぞ」
「途中まではいぶっ」
一緒という言葉は急に止まった綾小路の背中によって掻き消えた。見失わないよう急いで追い掛けたので止まり切れずに直撃した祝は痛む自分の鼻を擦る。
「いったぁ〜〜、急に止まるなんて反則だよ…って」
「…………」
「ゆき。…って祝まで!何かしたの?」
「あっ、マミィ〜…酷いなあ。帰りに偶然先生と会ったから一緒に帰ろうと思ってただけだよっ」
「そうなの?前にも家まで連れてって貰ってたそうじゃないの。パパから聞いたわよ」
先生に迷惑掛けてないでしょうねと疑惑の目で投げ掛けてきた母に対して祝は濡れ衣だと懸命に頭を振る。半分信用した母は買い物袋を抱え直して柔らかな笑みを綾小路に向けた。
「久し振りね」
「そうだな、久し振り。……雪」
「酷いじゃない?前来てたの知らなかったわよ」
「用で行った訳じゃないから」
「変わらないわね、その無駄嫌い」
「……そうか?」
(……あ)
くすくすと小さく笑い声を漏らす母を眺め、すっと目を細めて愛想良くなる綾小路を偶然見てしまった祝は自分の鋭すぎる直感を恨んだ。学園でそんな表情を作ったことが今までにあっただろうか。そう思って頭の中の引き出しを開けそうになった自分が嫌になり、咄嗟に大きな声を上げて二人を指差す。
「いーけないんだ!いけないんだ!二人して名前で呼び合っちゃって〜。やだね、ダディが悲しむね!!」
「はあっ!?ちょっと祝!私達は幼馴染だから、これが当たり前で――」
「ダディに言ってやろ!マミィが先生と浮気してたって」
「こら!待ちなさい祝!!」
踵を返して走り去る間際に、ちらりと様子を見ると頭を何度も下げている母をなだめる綾小路が居たので少し安心を覚えた。
*
公園に絶対と言っていいほど存在するブランコに座って、軽く揺らしただけで鎖と留め具の擦れ合う音が耳を襲う。年季の入った遊具なので仕方ないと思うのと同時にうっかり切れないだろうなと変な心配がよぎる。
「祝」
「あ。ダディ」
父は日本人の平均身長より結構高めなので片手を上げるだけでも非常に目立つ。そのまま公園の出入り口を跨いで祝の所までやって来て話し掛けて来た。
「こんな時間に、こんな所で一人遊んでたら悪い人に誘拐されちゃうよ。僕に似て可愛いんだからさ。帰ろう?」
先程の母と綾小路のやり取りを思い出した祝は伸ばし掛けた父の手を避けた。否定を促すように、ぎいぎいとブランコの音が鳴る。
「どうしたの?」
「あっ、あーえっと」
(今はダメだ)
このまま帰ったら二人と鉢合わせしてしまうかもしれないと焦った祝は隣の空いていたブランコの鎖を掴んで父を誘った。
「こ、此処座って。ちょっとお話しよう」
「珍しいね、此処でなんて。何かあったのかい?」
意味ありげに笑う時は好奇心で塗れて、きちんと目線を合わせて話を聞いてくれるので父と話すのは大好きだといつも実感する。
「ん…ねぇ、ダディ」
隣りに座ってブランコを揺々動かす父に祝は一つ質問を投げる。
「どうしてボクを鳴神学園に入れたの?」
「あれ、あそこ嫌い?」
「そうじゃないけど。気になって」
好きか嫌いかで言えば前者にあたる、と小声で言うと父は顔を綻ばす。
「あそこねえ、僕達の母校なんだ」
「へえ…」
「凄く大好きなものは傍に置いておきたいタチなんだ」
にこりと笑った。いつもの笑顔。……の筈なのに僅かの違和感が祝の心を掴んだ。訳が分からず、父の顔をもう一度確認するとタイミングよくチカリと街灯の明かりが灯ったため、逆光のせいで表情が窺えなくなってしまう。
「もうすぐ七時になるね。暗くなってきたし、心配してるだろうし帰ろうか祝」
「うん」
大きな手に引かれながら立ち上がる祝は言い様のない不快感を逃したい気持ちで沢山だった。どうしてこんな時に関係ない筈の綾小路が浮かぶんだろうか。間違いであって欲しい。
「……ダディ」
「ん」
ぎゅっと手を握る。
「……大好きな場所だから、ボクを通わせたんだよね?」
「――そうだよ?」
歪みのない声ではっきりとした答えを貰ったのに、心の中を巣食った不快感は暫く消えることはなかった。
教師と生徒/03
15/01/05 大人達の裏を垣間見る子供。
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