※風間と雪の間に産まれた祝捏造。




授業を終えた後、楽譜やプリントの入ったファイルを小脇に抱えて突っ張った肩を解しながら音楽準備室のドアを開けると黒い革で張ったローソファに仰向けで寝ている子供が一人いた。余りにも静かすぎて一瞬死んでいるのではないのかと心臓が縮んだ。上下する胸を見、ほっと安堵の溜息を付いたのだが別の問題が直ぐに降って湧いてきた。

(こいつ……サボりかよ)

中高生なら兎も角、小学生が校則を破るのは初めて見た。いつだって自由人だった同級生のことを思えば、自然なことかもしれないと納得し掛けた頭を振った。どう対処すべきかを考えなければいけない。小脇に抱えていたファイルを机の上に置いて、未だに眠り続ける子供の様子を見る。爪先から頭のてっぺんまで観察すると、自分もこういう頃があったのだと懐かしさが湧いて来た――のと同時に子供というものは実に弱く、何もかもが未熟な状態で出来ている生き物であることを自覚させられる。

(このまま。そう、このまま首に手を掛ければ)

呼吸が出来ずに悶え苦しんで窒息死を迎える。そんな想像を頭の中で巡らすと、海岸で引いた波が倍になって返って来るように後々に起きるであろう展開が想像を上塗りして溢れ返った。少し襟の開いたワイシャツから覗く首に向かって伸ばし掛けた手を止めると、いつの間にか目を開けていた祝と視線がかち合う。

「えっちだね先生?ワイセツ罪で捕まっちゃうよ」

大人振った冗談を聞くのも慣れてきた綾小路は怒ることもなく、祝の無防備な額を少し強めに小突く。

「痛い!」
「ワイセツ罪で捕まる前に、お前がこっ酷く叱られるのが目に見えてる」
「何を言ってるのさ。睡眠は人間的にものすごーーーく大事でしょ?お肌の大敵だし、集中力も切れちゃうし……昨日は夜遅かっ」
「親呼ぼうか?」
「痛い痛い!ごめんなさい!ボクが悪うーございました!!」

叫びながら謝罪する祝に免じて頭を鷲掴みにした手を離してやる。その最中、ぽつりと小さな声で呟いた言葉を綾小路は言葉で打ち返した。

「どうせ、呼ぶ気ないくせに…」
「さっさと小等部に戻れよ」

はいはーい、と痛む頭を撫でて元気よく飛び上がって音楽準備室の扉を開けに掛かった。かと思えば足を止めて綾小路の方へ振り向いた。

「ねえ、綾小路先生。どうしてボクが此処に何度も来てるの聞かないの?」
「はは、何を言うかと思えば。此処が防音で落ち着くからだろ」
「ん……。半分正解」

珍しく曖昧な返事で、思わず綾小路はファイルを置いた机から視線を上げたのだが、祝の姿はすでに音楽室の外へ出ていてその後姿しか見ることができなかった。完全に閉まった扉を眺め、頭を傾げた。

「?」



*



綾小路行人という教師は友人と認めている者以外、見事なまでに興味を示さない。相手が自分の領域へ入ってくると初めて意識する。自分からは動こうともせず、目線すら動かない。不思議に思って、昔一度父に尋ねたことがある。その時、驚いた顔をしたように思う。

大きな手の平で頭を包み込んで、僕に似て感受性が豊かだねと褒められた所までは良かった。必要以上の付き合いが無い時はいつもああで、癖みたいなものだと話してくれた内容の中にある真意に気付いてしまったからだ。『知人の子供』。その位置付けにある自分は、少しでも存在を薄くしたらきっと――無興味の対象に成り代わってしまうのだという確信。

(先生は子供いないから分からないんだろうけどね。……子供って酷く敏感なんだよ)

先程、先生が触れかけた首を撫でて目を瞑る。本当は音楽準備室に寄らないで、クラスの皆と一緒に仲良く遊んでいて欲しいと願っているに違いない。時間を見て遊んではいる。友達は自慢だがいっぱいいる。父も母も自分に優しい。人生は大いに満足している。…ただ、自分の存在を消しに掛かろうとする綾小路行人を除いて。

(過去に何があったかなんて知らないし、知りたくもない。けどそんな勝手なことでボクを消そうとするなんてムカつく)

風間祝という存在を全身全霊で拒否されてるようで酷く気分が悪い。それならいっその事、理性と戦うあの人を陰から見つめる方がいい。どうせ今の人生を壊すことなんて出来ないんだ。あの人を気遣う事なんて子供のボクには分からないし、知らない、やらない。やりたくない。だから何回も会いに行くんだ。

(無視されるくらいなら……ずっと嫌われてる方がいい)

そうしたらボクに目が行くでしょう?静かに目を開けて、答えの返ってこない質問を扉の向こうに居る先生へ投げて小等部へと急いだ。








教師と生徒/02





14/12/23  殺意と戦う教師と無視と戦う生徒。