「雪ちゃんは外そうね」
「いやだ」

誰も寄り付かない旧校舎の階段の上。
僕の膝の上で力なく言う綾小路の茶色い髪に優しく口付けを零すと嫌がり出した。
抵抗が酷くならないよう五指を組んだ両腕を、細い背中に回して拘束すると頭を振る。

「いやだ…おまえ、さいあく、きちく、ひどい、おに」
「だってあの子がいると君の心が壊れてしまうじゃあないか」

ぽつぽつと僕のズボンに吸い込まれる水滴で直ぐに泣いていることに気付いた。本人は
それを見せまいと顔を下に向けたまま、言葉を紡ぐ。

「ゆき」
「だめ」

いい加減、顔を向き合わせようと顎に手を掛けて上向かせると睨み据えた目とぶつかる。気にせずに、マスクをずらして頬を伝う涙を拭き取ってやると小さな恨み言が耳を蹂躙した。

「…しね」
「君が死ぬ時は僕が死ぬ時だよ、僕から作られた君が何を言うの?アハハ」
「…、…」

ようやく理解した綾小路は黙ってくれた。そのお礼の代わりに綺麗になった頬に口を付けた。



「次は僕好みの綾小路でいてね」



*



唐突に覚醒した中に飛び込んできた、白い世界の眩しさに思わず目を細めた。

同時に、つんと香る薬品の匂いで直ぐ場所と状況を把握する。いつもの貧血だろうか?それにしては、目覚めるまでの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちている。そのことに疑問を覚えながら気だるさの残った上半身を起こす。

途端、白い世界が赤い世界へと一気に染め変えられる。

「ッ…!?」

突然の出来事に脳が、精神が、身体が、全てのものが受け入れを拒否した。視覚を閉じる。聴覚を閉じる。触覚を閉じる。味覚を閉じる。嗅覚は――閉じれない。故に。

「う…、ぷ」

濃厚な匂いに酔い、胃から迫り上がってくる嘔吐感に耐える。ベッドのシーツに爪を立て、無数の皺を作った。

(あれはなんだ)

流れ込む『知らない』記憶に戸惑う。五感を封じようとしても、思考は脳を容赦なく侵食していく。血でへばり付いた髪の毛、血に塗れた白い肌、血で黒くなった臓物。それらに牙剥いて喰らう自分なんて知らない。気味が悪い。誰だ、あの女。桜の木の下で倒れている女――しっている。

「――――ゆ、」
「綾小路」
「え」

最初からそこに居たことに気付かなかった、というより気配がなかった。ベッドの脇に置かれた丸椅子に座って見詰めていたのだろう。不確かなのは逆光で表情が隠れているからだ。それよりも、男の言葉を聞いた途端にすっと気持ち悪さが引いていくことに動揺した。

「誰、…だ」
「風間。君と同じクラスに居る風間望」
「……、……かざま」
「そうだよ」
「風間」

「ふふ。僕に反抗するなんて本当、凄く成長したなあ」

我が子の成長を喜ぶ親のように笑うのが見えた。脂汗の浮かんだ額を優しく撫でる手の感触で、不思議なことにパンクしかけた頭が完全に落ち着いた。





「おはよう――『新しい』朝だよ」






















大切なのは、

きみを構成する要素だ


(語り部風間から生まれた綾小路)