人に言えない秘密が一つあった。
高校時代、とある事情で孤立した可哀想な子を面白半分で提案を持ち掛けて助けの手を差し伸べた。凄く目を見開いて鳶色に揺れる瞳の中に居た自分の顔が今でも忘れられない。酷いことをした、という自覚を感じたのは、やっぱりその子の瞳の中に映る自分だった。
お前のせいでこうなった、責任を取るべきだ、協力しろと有無を言わせず引きずり込もうとするやり方と一緒に見開いた瞳の中に映る自分は何を思ったのか。まだ、その時までは本当に変わらず面白半分で助けの手を差し伸べていた。そう、二回目の。
これが、いけなかった。
ある時に、ふっと限界が来たのか、あんなに頑固で、気丈で、逞しかった子が堪えることもなく目から大粒の涙を零す様を見てしまってから何かが狂い出した、気がする。だってだって、そうだろう。
(綺麗だ)
と、思ったなんて。今までの触れ合いで何人かの涙は見たことがある。男も女も、でもやっぱり女子の方が凄く綺麗な泣き方をするし、守ってあげたくなる衝動が湧く。その衝動がまさかその子にいくなんて思わなかったし、信じたくもなかった。勝手に出た台詞を掻き消したい。全く。でも、あの時に見開かれた瞳の中に映った自分を見て一気に罪悪感が心の中に流れ込んだ。
後ろにあった本棚を壁にし身体を支えた。目の前が暗くなりそうな感覚に陥ながらも、震える指でズボンのポケットに仕舞い込んでいた真っ白いハンカチをあの子に渡した。
*
その後に色々あって、平和な日常に戻れた喜びを感じていたあの子の過剰なスキンシップに戸惑ってたことなんて知らないだろう。気持ち悪いとか離れろとか言う前に、今までこんな風に接したことがなかったんだろうと思うと心は同情を誘った。良い匂いだと思うなら存分に嗅がせてあげようと思った。
(そう思った)
あの子が触れる度に、話す度に、笑う度に、鳶色に揺れる瞳の中に居る自分を見たくなかった。何かまた自覚をさせられそうで―――。ぞっと悪寒が背中を駆け走る。自分の保身が大事だった。
だから、怖くなって、何も知らない、あの子を、僕は。
どんと、
胸元を突き飛ばして。離れてゆく体温を感じながら、その場を去った。
後ろを向く前に見た見開いた瞳、その中を覗き込むことなく―――何も言わずに、関わらず、そのまま一年を終え、卒業した。という記憶しかない。あの子に関するもの全ての。
(数年が経った今なら分かる)
柄にもなく、恋してたんだろう。……あの子、男に。あの頃は女の子で一杯一杯だった、その中に男という異端が入り込んで心がぐちゃぐちゃになっていた、信じたくなかったんだ。だから突き飛ばして自分の中に入れないようにした。そんな昔の自分に反吐が出、謝れるなら謝りたいと思う。でももう数年も経っているし、連絡方法も分からないし、仕方のないことだと姿勢を正して当てもなく外を彷徨う。
ここ最近は夕方に外出して、散歩するのが日課になっていた。ほぼ仕事に集中するのは夜なので精神統一に持って来いだ。お決まりコースを通ろうと、考えてやめた。久し振りにあの子の夢を見たから、懐かしの地に足を運ぼうと鳴神学園の方向に一歩踏み出す。
*
結構歩いて日が傾きかけた中、鳴神学園に近付くにつれ、よく通った道が凄く狭く見えた。大人になったからだろうか、視野範囲が違うものに感じる。切なさと懐かしさを混ぜた思いを抱えてまた一歩。
「綾小路せんせいが迎えに来たわよー!」
踏み込んだ瞬間。よく知った名前が耳に飛び込んで、反射的に振り返った。何処かの保育園だろうか、エプロンを掛けた一人の若々しい女の人、保育士が可愛い女の子を抱えて出入口に居る。
「すみません、いつも迎えが遅くなって」
そして、もう一人。小さな笑顔を浮かべて女の子を受け止める。黒髪に黒スーツ、そこまではいい。口を隠した大きな黒布に視線が外せなかった。
「いえいえ、雪ちゃん強い子ですから、泣かずにずっと遊んでましたよ」
「そうですか……有難う御座いました。雪、帰ろうか」
「うん!」
ぎゅうっと首に両手を回す子供を抱え直して、礼を言い、保育園から出ていく。物凄く胸が高鳴ってる、このまま見失ったら折角の偶然が無駄になる。と思い、踵を返して駄目元で背中を追って声を上げた。あの子に向かって。
「―――綾小路!」
呼んだ後、はあっと息を吐いた。声は、届いた。
歩いていた足が止まり、ゆっくりと、少し長くなった髪を靡かせて此方側へ。凄く綺麗な顔だったけれど、面影の残る顔で目を見開かせて、懐かしい声色で。
「……………………かざま?」
そう、吐いた。
(……、僕には)
人に言えない秘密が一つ―――ある。
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