手のひらから、するりと存在が無くなるのを感じた。
今までずっと一緒に育って来た筈なのに、何処で一本道から分かれ道が出現してしまったのか分からない。とても普通に、自然に、当たり前のように、彼女は歩く方向を変えて―――行き着く先を見たくなかった。目を瞑ってやり過ごそうとした時。
『ゆき』
耳元で、囁かれた。
声の主を確認しようと目を開けると口の端を引き伸ばした笑顔がそこに、あった。
「―――――」
薄暗い自室の天井が目に映った。上半身をゆっくり起こして窓のカーテンを引くと、外からの光が漏れる。すっかり夕日が傾いて紫色と化する空が一面に広がっていて、寝ていたことに気付く。テスト最終日が終わって早めに帰れたのは覚えている、着替えて寛いでいる内に寝たんだろう。棚の上にある置き時計を見ると、もう夕食の時間を示していた。
「もうこんな時間か」
誰も起こしてこないのは、幼馴染の彼女の両親と一緒に夫婦仲良く旅行へ行って誰も居ない状態だからだ。取り敢えず夕食を取る前に寝汗を落としたかったので風呂を優先した。バスタオルと着替えを持って、浴室へと進んだ。
「くそ、嫌な夢をみた……」
それから暫くして、風呂で寝汗も悪夢も掻き落としてきた後。
スウェットというラフな格好で台所に立ち、夕食の準備を始める前に隣に住んでいる彼女と一緒に食べるべきか少し迷った。迷って―――独りで食事をすることに決める。今、顔を合わせても普通の態度を保っていられるかどうか自信がない。彼女の事を考えるのを止め、黙って簡単な食事を作る為にエプロンを着けた。
*
夕食を終え、片付けを済ますとやることがなくなった。
テレビも特に面白い番組が見当たらなかったので電源を消し、自室に戻って読書しようと思った。その前に、夕刊を取り忘れたことに気付いて階段を上がりかけた足を戻して玄関へ向かう。がちゃりと鍵を開けてドアノブを回すと、すっかり夜の色で満たされ、街灯が灯っていた。そのまま素足のままサンダルを履いて暗い中、郵便ポストに手を突っ込んだ。
「……!」
その時、少し離れた隣の玄関に明かりが灯り、思わずその場で立ち止まってしまう。玄関前の明かりを付けずにいたお陰で、此方側に気付くことはない。運が良かったと安堵の溜息を付くより、絶望が身を襲った。
「…………」
見たくもない所を目撃して、落ち着きかけた心がまた酷くざわつき始めた。気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。気持ち悪い触るな寄るな来るなやめろ!!色々な感情が溢れ出し、抵抗を試み、逃げ出そうとした。
途端。
一瞬だけ目の前が暗く感じた。
そして後から床に打ち付けた痛みがじわじわとやってきた。まともな受け身を取れずに全身で受けてしまった為、暫く身動きが出来ないだろうと思った矢先。
「ごめん、痛かったかな」
痛みの原因を作った男、風間が仰向けにして心配そうな声色で尋ねて来た。物凄く優しい雰囲気を作り出している感があったのもあるが、今までの行動を考えれば恐怖の対象でしかない。
「……睫毛、長いね」
「っ!?」
睫毛を触られたのと同時に顔を近付けられて、いつかの裏庭の出来事が一気にフラッシュバックした。虫の知らせのようなものがぶわっと湧き起こり、必死で抵抗した。
「何で?雪ちゃんのこと好きでしょ」
「………!」
何で知っている、という思いが強かった。数秒も経たない内に目を見開いて反応したことが、相手にどんな結果をもたらすか気付いても後の祭りだ。弱味を与えてしまった。そんな俺を見て、満足そうに笑んで。
「だから、綾小路に雪ちゃんを間接的に感じさせてあげようと思って。 ね」
そう、耳元に囁いた後。
デジャヴ。
―――夢の続きを告げる声が心を射抜いた。
「ゆき」
目覚めても醒めない夢
11/06/08 幻想の夢と、現実の夢。
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