「やあ、休憩時間にわざわざこんな所に来てくれて有難う」
「用件は何だ」

来訪者に気付いた背中は、そのまま振り向くことなく礼を述べた。顔を向けずに何をしているのか目を凝らすと目前の姿見を弄っていることに気付く。真昼でも薄暗く感じる中でその行為は異質的に見えた。

「せっかちだねえ、久々の再会なんだからもうちょっと感慨深くてもいいと思」
「用件を言え、時間に余裕があるわけじゃないんだ」
「そうだよねえ」

姿見に触れていた手が離れる。

「なんたって君、今は教師だもんね」

くるりと振り向いて、ようやく覗かせた顔は少々大人びていた。しかし、懐かしいと思う感情が湧かないのは人間らしい面が全く見当たらないからだろう。指定場所を『此処』にしたことで、当然だと自己完結した。

「あれから調子はどうだい」
「どう……って」

そんな最中、話題を変えられて返答に詰まった。あれから、と言うのは高校時代を指すのだろうか。混乱する中、空気を読まずに続きを紡ぐ声が耳に付く。

「何も話さないし、何も言わないからさ」
「………………」



「我慢出来なくなって、呼んじゃったぁ」



高校時代と変わらぬ笑顔で握り締めていた携帯電話を指差され、ぴくりと思わず反応を返してしまった自分が嫌になった。



*



―――事の始まりは、四時間目の授業が終わった頃。

職員室で何気なくメールチェックを行っていた時に一つだけ何故かアドレスもタイトルもない空白欄を見付け、不思議な感覚に襲われた綾小路は決定ボタンを押して画面を開いた。薄く光る画面の中身に驚いて立ち上がりそうになった身を落ち着かせた。

『旧校舎』

たった三文字でそう記されていた文字は傍から見れば意味不明でしかないだろう。しかし、その後に続く文字……最後にと、ご丁寧に名前を振っていた。それを見た瞬間、忘れてしまおうと思っていた記憶が全て引き摺り上げられた。

「何で……今頃になって」
「どうかしましたか?」
「あ……いえ………………あ、あの、……少々、今から時間が欲しいんですが」
「急用ですか?午後の授業に支障がなければ許可貰えるんじゃないですかね」
「そうですか、助かります」

助かる?―――何を言っている。ぱたん、携帯を折ってそのまま握り締めて昼食をとる教員達の中から抜け、マンモス校と言われるだけに生徒で溢れかえる廊下を一人違った雰囲気を纏いながら突き進んだ。



*



「本当、ちゃんと鳴神学園から離れないっていう決まりは律儀に守ってたみたいで良かったよ。ずーっと忘れたのかなあって思いながら待ってたんだ」
「………………」

過去を振り返りたくなかった綾小路は、言葉を断ち切ろうと顔を上げる。まるで最初からそうなることを予測していたかのように視線を受け、単刀直入に切り出した。

「雪ちゃん、元気?」
「―――――」

急激に引き摺り上げられた記憶を目の前で口に出されて、喉から出掛かった言葉を詰まらせた。これ以上の話は無意味なものでしかない。

「かざ」
「結婚したんだってね?おめでとう」
「なっ…」

何故、知っている。驚きのあまり、とうとう何も発しなくなったのをいいことに次々と衝撃的な言葉を耳元で容赦なく浴びせた。

「子供、可愛い?」
「……!」

男の子なのかな、女の子なのかな、見に行きたいなあ。そんな軽々とした声色が心を切り裂いていく。それもそのはず、高校卒業してからは風間の存在などすっかり忘れていた。

「な…何で、知……」
「無意識に忘れようとしてるけど、そうはいかないよ」

決して人間には無いであろう、金色の瞳を輝かせて綾小路の全体を捉えた。蛇に見込まれた蛙のように立ち竦んでいると、顎をそっと撫で上げられて不快感が走る。

「綾小路」

耳に入り込む囁き声が全てを引き出す。

「僕に縋りついて雪を生き返してくれって何度も泣きながら言ったこと忘れた?ふふ、当然忘れてるよね。雪ちゃんばっかしか見えてなかった、あの頃の君は中々凄かったなあ」

笑みを一層濃くした顔が過去と重なる。覚えているのは鉄の匂いで満たされた赤黒い血と人間だった物、ばらばらになった肉の塊。止め処なく溢れる涙を優しく拭った暖かい手。

(……この、感触)

一度死んだ者を生き返らせるには対価が酷く大きいよと顎を撫でられながら言われたのは、いつだっただろうか。そもそも風間が人間でないことをいつ知ったのだろうか。まだ、靄がかかった記憶の綻びを手繰る。

「ねえ、約束通り対価。ちょうだい」

思考の海で溺れかけた綾小路の顎を固定して、視線をぶつけた。対価、と言われた言葉をずっと避けて生き返った雪に愛を注いでいた自分がありありと思い返される。

「…………否定したら、どうなるんだ」
「ははは、そんなこと決まりきってるじゃないか」

顎から静かに手を下げ、首筋、襟元。ぐ、と人差し指を引き抜いた瞬間、難なく解かれるネクタイが目に映った。










「全てが―――元に戻るだけだよ」






















いきづまりを感じる

午後の日差しに屈服