※特別編追加ネタバレ注意。
「綾小路、おいで」
「風間はいつも俺を連れ出す。何でだ」
「さあね、何でだと思う?」
分からないから聞いてるんだ、口を尖らしても出てくるのは微笑みだけ。
それが、あまりにも穏やかすぎて怒りの矛先を向けられなかった。
「何だ、気持ち悪いな」
いつものように人を振り回して、人の感情を混乱させて、困憊させるのが好きなくせに何故こんなにも女性を愛でるように扱うのだろうか。
「そう?」
「変なものでも食ったか?」
いつもと違う態度に不審を抱き、ぐっと歩みを止める。すると、反動で引き連れていた大きな手がするりと抜けた。温もりが直ぐに消え失せて物足りなさを感じたなんてことはない。ただの錯覚にすぎない、そう自分に言い聞かせた。
「君に関してはいつだってこうだよ」
再び握り返そうとする手を反射的に避けると、意外そうに目を見開く。そんな表情をするのは何も分からずにいる此方であるべきだ。
「綾小路ったら」
くすくす笑いながら、今度こそ器用に手を掴んで五指を絡ませた。
「君は僕が造ったんだよ?」
「え、あ―――」
ああ、そうだ。
俺は、彼のお陰で生きているようなものだ。
彼の話から生み出された俺をずっと手引きしてくれた。
だから、こうして足を地に付けていられる。
嗅覚だって彼の傍にいても平気でいられるのは―――彼自身から造られた物だから、
悪臭がしなくて当然だ。何事も全て彼という重点を置いて生きているのも頷ける。
「また俺、忘れてたのか」
「しょうがないよ。人間らしく生きるのに『僕』という余計な記憶を残さないよう取り除いているから」
「お前はそれでいいのか?」
「―――ふふ」
「思う存分、君と喧嘩するのも楽しいからね。なぁんも問題ないさ」
彼が癒されるなら。
彼が笑ってくれるなら。
彼が楽しんでくれるなら。
彼が俺を必要としてくれるなら。
「だから、また遊ぼう?」
「ああ、いいよ―――風間」
彼の為に生きていこうと、思ったんだ。
*
「どうした、風間」
「…日野」
何も無い真っ暗な闇の中、自身の身体を抱きしめながら座っていた風間を日野は呼び掛けた。自嘲気味に笑み、日野を捉えた風間は小さな声で呟く。
「予想外だったんだ」
主語もなく唐突に出された言葉に疑問符を浮かべていると、目を細めて静かに続きの言葉を紡ぐ。
「まさか、自我を持つなんて思わなくて。止める暇も無くて」
両手で顔を覆い隠し、表情を隠す風間を日野は黙って聞く。此処で茶々を入れたら微かな会話が途切れてしまうと察知したゆえだ。
「深く―――深く、暗い闇の底にいる綾小路を」
一旦、そこで区切って深々と溜息を漏らす風間が酷く珍しく感じた。
「僕は連れ出すことが出来ないんだ」
「…どうして?」
「あれは僕の意思で出来た『モノ』じゃないからさ」
「じゃあ、あれはどうするんだ」
「……君、さっきからその事ばかり考えているだろう。虚勢を張るなよ」
「―――――いいのか?」
「僕の『モノ』じゃないんだ。決定権は持ってない」
「…………」
―――より一層、周りの闇が深くなった気がした。
*
「綾小路、おいで」 「―――――」
え、と涙を流しながら目を見開く綾小路の前に手を差し伸べる。『食事中』の最中に、平然と対応 をする日野の感情を変に思った所だろう。
「お前の手助けをしてやる」
「手助け…?」
「お前の気持ち、わかる
よ」
俺も同じだから、と目を細めた日野は綾小路を見ずに何処かを見た。綾小路は黙って口の周りについた血を手の甲で拭い、日野を見上げる。
「…………」 「どうした?」
「おかしい…」 「おかしい?」
鳶色で一杯にした瞳の中に怪訝そうに眉を顰める日野が映り込む。真っ直ぐ彼を捉えているというのに、何故か異質なものにみえた。何故か。
「…どうしてだろう、そうだ。僕は助けを求めてるのに。凄く嬉しい自分がいるのに」
新たな涙を流したのを悟られないよう、血でべっとり染まった白い手で顔を覆い隠す。
「違うんだ、何かが」 「綾小路?」 「違う、違う、違う」
いつもはもっと、いけ好かない奴が無理やり僕の手を引っ張って連れ回して、何を言ってるんだ僕は、そんな奴見たことも関わったことも覚えも無いのに、どうしてこんなこと言ってるんだろう。どうして。どうして。どうして。どうして。
「違う、何かが違うんだ。ちがうんだ……」
混乱しながら、泣き続ける背中を見て日野は一つ悟った。
「―――――」
「ちがう……」
(そうか)
(……根本的な所であいつを求めてる、ってことか)
人間性の形成を促す情愛
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